

【テーマ】 クリスチャンの生き方
【説教題】 「神の武具で身を固めよ!」
【聖書箇所】 エペソ6:13−17
足・・平和の福音を履き



こんにちは。
マダムYです。
今日は痛い話を分かち合います。
痛みがきたら人のために祈ろう、と決心した藤井牧師と平松神学生の話。
平松神学生>
先週土曜日のこと。
夜中、左脇腹に激痛が走り、目が覚めた。
耐えられる痛みではなく、救急車で病院へ。
藤井牧師>
先週土曜日のこと。
夜中、右脇腹に痛みを覚え、目が覚めた。
なんだろう、と思いつつ、また眠りについた。
藤井牧師>
日曜日、平松神学生が痛みに苦しんでいた夜を知る。
『あの痛みは何かの知らせだったのでは?』
これからは、自分に痛みが生じたら、誰かの痛みのために祈ろうと、思う。
平松神学生>
日曜日、藤井牧師が同じ時刻に痛みの知らせを経験していたことを知る。
これからは、自分に痛みが生じたら、誰かの痛みのために祈ろうと、思う。
平松神学生>
月曜日、病院で再診。
会計待ちの段階で、またあの痛みが発生。
…でも、痛みの最中、誰かのために祈ることはなかった。
痛くて痛くて、誰かのために祈ることを思い出すことすらできなかった。
痛みを通して教えられること。
痛み苦しみの中で祈るとはいかに難しいことか。
イエス様が十字架で祈られたことを覚え、それがいかに偉大なことだったかを改めて思う。
さて、次の話は痛みに耐えた、若きNちゃんの話。
5月に受けた側湾症の手術。
メスで背筋を、80度から30度に矯正した。
長時間におよぶ手術は成功したが、そこからつづく、痛みやリハビリ。
今日は久々にNちゃんが教会に。
明日から社会復帰できるまでに回復した、と教会にやってきた。
背筋の伸びたNちゃんの新しい姿に、みんなの温かい眼差しが注がれた。
教会大好きなNちゃん。
Nちゃんが大好きな教会のみんな。
教壇でお母さんと並んでのご挨拶。
涙で言葉にならないお礼の言葉。
『ありがとうございました。ありがとうございました。』
その二言が精一杯のスピーチ。
だけど、それだけでハートの奥に強く刺さりました。
回復を記念して、みんなで写真撮影。
マスクで覆われていても、みんなの嬉しい笑顔は一目瞭然。
他にも教会には痛みを抱えて生活している人がたくさんいます。私自身も、自分に痛みを感じるようなことがあれば、『今痛みに苦しんでいるだれかのために』と祈ろうと決心しました。
祈りの輪、とりなしの祈りが連鎖していきますように。
ひとりでひっそり信仰を持つより、教会の繋がりで信仰を持つって、心強く、励まされますね。
本日の藤井牧師のメッセージはこちら。
https://shinnakano.jpn.org/messages/post-1918/
礼拝後のリバイバル祈祷会。
痛みで辛い方々のことも、みんなで心合わせて祈りました。
マダムYでした。
こんにちは。おごちゃんです。
7月4日の教会の様子です。
緊急事態宣言が明けてからの、普段の日曜日です。
コロナ以後、特別な行事がまるで出来ないので、ほとんどの日曜日が「普通の日曜日」になってしまいました。個人的にはそういった日曜日が嬉しいのですが、メリハリというものがないのも退屈ですね。
いつも通り、第一礼拝と第二礼拝の間は、全く人いません。
そういった退屈な日々ではありますが、ちょっと特別なことをしてみました。
じゃーん。今日は私じゃない人が中継卓の前にいます。
詳しいことは後で書くのですが、早い話が「私が通訳に立っていてもシーンチェンジ(カメラの切り替え)ができるように」ということで、M姉妹にやってもらうことにしました。
今日はM姉妹ですが、もちろん他の人にもやってもらおうと思ってます。そうすれば、私が通訳に立ってる時もシーンチェンジができますし、何かあって休んでも大丈夫。
ちょうど、今日は私がブログ当番でもあったので、卓の前から移動できました。なので、
開会直後とか撮れるわけです。
しかも、今日はS姉も来てたので、
メッセージ開始直後の様子も撮れました。
これくらい助けてくれる人がいると、いろいろ楽になります。
今日のメッセージのタイトルは「あなたの信じたとおりに」聖書箇所は「マタイ8:5〜13」です。
詳しくは先生のブログかメッセージ動画のアーカイブを見て下さい。
アーカイブのページ見たら、やたらに詳しく書かれているのですが、これは多分M姉の仕業ですね。感謝します。
さて、今日の午後は運営委員会でした。
内容はだいたい役員会でやってるようなことです。役員会よりも参加者が多い場の方が検討しやすいことは運営委員会マターとなりますね。
写真をよく見てもらうと、マイクスタンドが見えると思います。そして、たったこれだけの人数なのに、会堂いっぱいに座ってます。要するに密にならないようにとゆーことです。
というのが、教会の様子でした。運営委員会の後にさらに役員会があったので、教会出た時に18時過ぎてましたね。
前にいろいろ書いていた当教会のネット中継について、いろいろ意見を聞いたりするようになったので、あらためて説明を。
教会の礼拝のネット中継は、第二礼拝について行っています。第一礼拝を中継することそれ自体には特に問題があるわけではないですが、第一礼拝はある意味「じぇねぷろ」、つまり通しのリハーサルみたいなところがありましてね。通訳者も、第二の方に合わせて来ますから。内容がそれ程違うわけはありませんし、「新鮮さ」という点では第一も良いのですけど。「証」とかそうだったりしますね。
礼拝は11時に始まりますから、10時50分から放送を始めます。最初は調整とか「ノイズ」ですね。最初はトラブル対応とかも考えて10分前に開始していたのですが、今はそこまでトラブルは発生しないので、「雰囲気」のためと思っていいと思います。11時まで世のことをやって、はーい11時になったから礼拝スタート!というわけには行きませんからね。ディスプレイの前に来て、準備祈祷とか始めてもらうためという意味でもあります。時々、「だれそれさんのために祈って下さい」みたいなこともありますから、そういったことにも耳を止めて欲しいです。
配信開始と同時に録画も始めています。後でこれを編集してアーカイブとして教会のホームページに貼るわけです。
会堂では、基本的に秒読みをして11時ちょうどに放送開始... しているつもりなのですが、奏楽の「キリ」とか司会者の都合があって、多少遅れることもあります。テレビ放送ではないので、そこまで厳密にする意味もありませんし。
会堂では11時ちょうどにスタートしているのですが、YouTubeとの通信の都合で動画が届くまでには30秒くらいの遅延があります。これはもう「こんなもの」と思ってもらうしかないですが、多分YouTubeを見ている人はその遅延には気がつかないと思います。ネット経由だと礼拝開始がいつも30秒くらい遅れているのは、そのせいです。そのこともあって厳密な時間に開始しても意味がなかったりするのですが。
メッセージがあって報告が終わると、「礼拝」はおしまいです。ここで録画を終わります。
祈祷会を録画するのがいけないとかそういったことがあるわけではありませんが、DVDだと礼拝だけでちょうど1枚になったりするので、ここで区切りにしています。
この後、リバイバル祈祷会があって、それが終わると中継は終了です。
以前書いたように、礼拝が始まるとあまり頻繁にシーンチェンジはしません。基本的に礼拝参加者視点の動画が流れるだけです。私が通訳に立ってしまうと、もう何もできませんから。
私が通訳に立ってない時には、多少シーンチェンジします。たとえば、S姉は聖書朗読の時は通訳をしませんから、代わりにパワポを全画面にしてみたりとか。それでも、せいぜいその程度ですね。エンタメ要素は全くありませんし、極力静かな画にしようと心掛けてします。
現在中継に使っているカメラは2台あって、1台は会堂後ろにある4Kカメラ。これが主になります。そして、もう一台は左隅にある会衆の様子を写すウェブカメラです。このウェブカメラで以前は全ての中継をやっていました。パワポはカメラとは別にパソコンの出力を直接キャプチャしてます。普段使いのソースはこの3つです。
最初はこの左隅の動画はありませんでしたし、しばらくは奏楽者を写してたりしたのですが、今は会衆を写すことにしています。これは「礼拝とは交わり」という考えからです。以前、音響について書いた時に「わざわざ会衆のノイズも拾って中継音声を作っています」と書きましたけど、それと同じです。
「礼拝に教会に来る」というのは、単に「礼拝する」だけではなくて、人々との「交わり」のためでもあると思います。ネット経由では、なかなかそれが出来ませんから、それを少しても補完するために、会衆を写すようにしたわけです。当教会でやっているのは「ネット礼拝」であって、「礼拝放送」ではないのです。いかに「礼拝の空気」を届けるか、視聴者が単なる視聴者ではなくて「礼拝者」になるか、そのための努力の一つです。「ネット礼拝」を視聴している人は「礼拝出席者」なのです。
他方、これはメッセージの時は結構気が散るようですね。それと、メッセージは別途編集してホームページに置くことにしているので、会衆が写ってるのはちょっとマズいかも知れません。そこで、「余裕のある時はメッセージ中は会衆映像を出さない」ことにしました。
とは言え、これが出来るのは「余裕のある時」だけなのです。たとえば、私がメッセージ開始の時に通訳に立ってないとか、他の人が卓の操作をしているとか。なので、「最低限の奉仕者で」ということだと、出来ないことだったりします。
全体の構成をする時に、「番組」を作ることは意識していません。あくまでも、「時空を超えて礼拝に参加してもらう」ためのツールとしてのネット配信をしています。なので、動画エフェクトの類も極力使わないで、粛々と画を作ってします。実は動画キャプチャももう2系統ありますし、カメラもあるのですが、多分「ネット礼拝」としてはこれ以上必要ないだろうと思います。「参加」してもらうこと、あるいはその代替としての「臨場感」が優先ですね。
今はこのように考えて、中継をしています。いろんな環境変化で、考え方も変わるとは思いますので、あくまでも「今は」ですけど。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |